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 我らが善知識(仏教で「正しい仏教の先生」という意味)は健在であられた。
人間には後生の一大事がある。
後生とは来世であり、死後の事である。

畢竟人間は死に向かって生きておるのであり、この一大事と関係の無い人類は一人としていない。
ゆえに仏法は聞かねばならないのである。
後生を認める人も認めぬ人も関係なくこの一大事が惹起する。

仏法は後生の一大事に始まり、その解決で終わる。終わってしまうのだ。
その解決できた事を信心決定(けつじょう)という。文字通り信心が定まってしまうという事である。
親鸞聖人が教えられた真実信心はそこが異なる。
世間で言う信心に極まりはない。
しかし浄土真宗の真実信心には決勝点がある。
真実の仏法を聞き求め続ければここで求めきったという時がある。
故に命があるうちに求めきらねばならないのである。

しかし「無常を観ずるは菩提心のはじめなり」
いつまでも生きておれると思っているうちは仏法は始まらないのである。
「出る息は入る息を待たず命終わる」(釈迦)
「仏法には明日という事あるまじきことなり」(蓮如上人)
けだしその通りと言わねばならない。
後生というと遠い先の事に思うが、一度死の縁がやってくればたちまち人生は終わってしまうのである。
「今日死ぬ」など少しも思っていなかった人に死は訪れるのである。
誰にも否定のできない厳粛な事実である。

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» 無題
人は誰でもかしれませんがそれぞれの年代に応じて考え方、感じ方が違ってくるのではないかと私はかんがえています。10代の子供に人間の命のはかなさを言っても何のことかわからないと思います。でも80歳、90歳の人に人生のはかなさはよくわかる人が多いのではないでしょうか。自分自身がたよりなくなっているから当然でしょうね。何らかのきっかけで若くても人生のはかなさ頼りなさはよくわかる人もいますがそれはごくごく限られた特殊なとでもいえる部類の人でしょう。平和な現代は特に死にはあまり関心のない時代です。実際は誰でも死の危険と紙一重の差のところに存在しているのです。でも、それがとても見えにくい時代ですね。ほとんどの人の目は楽しみと喜びと安楽にしか目がいっていません。幸福な人生を求めるばかりです。現実刑務所では死刑囚として明日の日のいのちもわからない状態にいる人もいます。私はその死刑囚はとても他人事には思えません。津波にのまれて亡くなった方も大勢います。それらはみな他人事であってじぶんはなんら関係ないと思っているのが世間一般ではないでしょうか。動物の世界も同じで、アフリカの草原でたくさんのシマウマが生きていますが、ライオンが空腹になれば一匹捕まえてこおろして食べます。足の弱った逃げ遅れたシマウマが犠牲になり
他のシマ馬はライオンが仲間を殺して食べている横で安心して草を食べている。もう当分はライオンも
狩りをしないから安心。偉そうにしている人間もこのシマウマと同じことではないでしょうか。長々と書きました。私が言わんとすることはお分かりいただけたでしょうか。動物も人間も一日一日命を張って生きているといいたいのです。私たちも死刑囚も
アフリカのシマウマもいや生きとし生きる命のあるものみな同じだといいたいのです。その観点が抜ければいかに仏法を説いても砂上の楼閣でしょうね。
厭離穢土欣求浄土の立場にいることが真実の仏法に会うことでしょうか。よければまたコメントさせてください。愚意駄文の羅列で失礼しました。
生死一体 2011/04/12(Tue)19:11:28 編集
» 長文どうもです
ただもう少し全体的に改行等を使ったほうがいいかと思います^^;

年代によってもちろん見方は変わるのは承知のとおりですが、蓮如上人は「若きとき仏法はたしなめ」と仰っています。(御一代記より)。

思えば祖師親鸞聖人も9歳で出家なさっています。その時詠んだ歌が有名な
「明日ありと思う心のあだ桜
   夜半にあらしのふかぬものかわ」です
両親に早くして死に別れ、激しい無常を観ぜられたのでしょう。

仰ったシマウマのたとえば的を射ています。
釈尊の「四馬の比譬」というのを聞いた事がありますか?
この四馬は叩かれてやっと死を恐れましたが、私たちは一時死を恐れても、のど元過ぎればですぐに忘れて世間事にかまけるのが私たちの本性です。
身内の死や友人の死に会った恐怖も一時的で続きません。愚かな自性が知らされるではありませんか。

ただ愚かな点は動物と似ていますが同じではありません。
七難というのを聞いた事はありますでしょうか?仏法を聞けない7つ障害を釈尊が仰ったものです。
これに在畜生の難というものがあります。
人間なら耳で仏法を聞き因果をわきまえ廃悪修繕、阿弥陀一筋に光に進む事ができます。しかし、動物や虫では仏法を聞けないのです。この点が大きく違います。
なのでお釈迦様は
「人身受けがたし今すでに受く
  仏法聞きがたし今すでに聞く」と仰っているのです。
生まれがたい人間に生まれて良かった!聞きがたい仏法を聞けてよかった!
人間に生まれねば仏法を聞けぬからこのように歓喜されるのです。
この人間界に生を受けたときしか出来ない事がある。。。そう思えば生命は同根ではあれど、人身を受けた今こそが出離の大チャンスなのです。
ブログ主 2011/04/19(Tue)21:46:13 編集
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